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東京高等裁判所 平成5年(ラ)682号 決定

主文

原判決を取り消す。

本件移送申立てを却下する。

理由

一  本件抗告の趣旨は、主文第一、二項同旨の裁判を求めるというものであり、その理由は、別紙記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

1  一件記録によれば、本件訴訟は、米国法人であつて、横浜市中区海岸通り四丁目二三番地大宗マリーンビルに日本における唯一の営業所(但し、登記はされていない。)を有する抗告人が、その所有するウエブ折合せ装置及び棒状物の切断装置に関する特許権の侵害を理由として、相手方に対し、相手方使用に係る紙シート折合わせ装置及び紙シート切断装置(以下「本件機械装置」という。)の使用差止め及び不法行為に基づく損害賠償を請求するものであり、右営業所の所在する横浜市が義務履行地であるとして、同市を管轄する原審裁判所に提起したものであることが認められる。

2  まず、原審裁判所が本件訴訟につき管轄権を有するか否かについて検討する。

民訴法五条は、財産権上の請求すべてについて適用されるものと解すべきであり、したがつて、不法行為に基づく損害賠償請求についても、その義務履行地の裁判所に訴えを提起することができるものというべきである。

そして、民法四八四条後段によれば、債務の弁済は債権者の現時の住所においてなすことを要するとされているから、この場合の義務履行地の裁判所は、右住所を管轄する裁判所ということになる。

商法五四条二項によれば、会社の住所はその本店の所在地にあるものとすると規定されており、抗告人の住所は肩書記載のとおりであるから、右規定にのみ依拠する限り、本件訴訟については、義務履行地を管轄する裁判所はわが国には存在しないことになる。

ところで、民法四八四条後段が、債務の履行につき持参債務の原則を定めているのは、債権者の生活(営利法人については営業活動)の本拠である住所において債務を履行させることが債務の本旨に適うとされるためと解されるが、営利法人と認められる抗告人の場合のように、日本国内に本店所在地がなく、営業所のみが存在する場合には、右営業所が日本国内における営業活動の本拠ということができるから、債務者は営業所においても債務を履行することができ、また、債権者も営業における債務の履行を要求できるものと解するのが公平の観念に適い、かつ、右規定の趣旨にも合致するものと解するのが相当であつて、本件の場合には、抗告人の営業所をもつて、右規定にいう「債権者ノ現時ノ住所」として取り扱うのが相当というべきである。したがつて、抗告人の営業所が所在する横浜市を義務履行地として、同市を管轄する原審裁判所は本件訴訟につき管轄権を有するものと認めるのが相当である。

このように解することは、商法五一六条一項後段が、商行為によつて生じた債務の履行についてであるが、債権者の現時の営業所又は住所においてなすことを要するものと規定し、民訴法四条三項が、外国法人の普通裁判籍について、日本における事務所、営業所又は業務担当者の住所により定めると規定していることとも均衡するものというべきである。

そして、高松地方裁判所も、相手方の住所地である高松市を管轄する裁判所として、本件訴訟につき管轄権を有することは明らかである。

3  そこで、本件訴訟につき、著しい損害又は遅滞を避けるため高松地方裁判所に移送する必要があるか否かについて検討する。

相手方が本件訴訟においてどのような主張をするのか、現段階では明確に把握することはできないが、一件記録によれば、相手方は、本訴請求を全面的に争い、本件機械装置のうちの紙シート折り合わせ装置の製造者である有限会社吉永鉄工(高知県土佐市所在)は、ウエブ折合せ装置に関する本件特許権につき先使用による通常実施権を有する旨、本件機械装置のうち、有限会社加地製作所(愛媛県伊予三島市所在)の製造に係る紙シート切断装置は、棒状物の切断装置に関する本件特許権を侵害するものではない旨主張し、損害の成否及び額についても争うものと予測される。

しかして、特許権侵害訴訟において、対象物件の特定につき争いがないような場合には、通常、対象物件について検証手続が行われることはなく、対象物件の特定や侵害の成否につき争いがある場合であつても、可能な限り図面等の取調べにより審理を進めることが多く、常に検証手続が行われるとは限らないところ、一件記録によれば、抗告人は、本件訴訟提起に先立ち、高松簡易裁判所に証拠保全の申立てをなし、平成四年一〇月三〇日に証拠保全決定を得て、高松市に存在する本件機械装置について検証がなされ、その結果に基づいて本件機械装置の構成が特定されていることが推認されるから、現段階において、再度本件機械装置の検証を行うことを前提として、本件訴訟の進行を考えることは相当とは認め難いこと、対象物件が特許権を侵害しているか否かについて鑑定を行うことも必ずしも一般的な手続ではないが、仮に、本件機械装置が本件特許権の技術的範囲に属するか否かについて鑑定の必要があるとしても、その手続を原審裁判所でした場合に特に余分の時間と費用を要するものとは考えられないこと、相手方からは、証人尋問の申請について具体的な予定も明らかにされておらず、有限会社吉永鉄工及び有限会社加地製作所の関係者の証人尋問が必要であるとしても、本件事案の内容からすれば、多人数の人証の尋問が必要であるとは考えられず、原審裁判所で本件訴訟を審理した場合であつても、証人の出頭確保が特に困難であるとか、著しく時間と費用を要するといつた事情も認め難く、場合によつては裁判所による出張尋問も可能であること、特許権侵害に基づく損害の有無及び額については、主として書証の取調べにより審理が進められることが一般的であり、この手続きを原審裁判所で行つた場合に著しく時間と費用を要するものとは考えられないことを総合すると、著しい損害又は遅滞を避けるため高松地方裁判所に本件訴訟を移送する必要があるものとは認められない。

4  よつて、相手方の本件移送申立てを認容した原決定は、失当であるからこれを取り消し、その申立てを却下することとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 浜崎浩一 裁判官 田中信義)

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